誰かと語り合いたかった。
真剣に、本気で。
本や本作りや本屋のことを──
本の雑誌社の営業杉江由次と三鷹UNITÉ・京都鴨葱書店の店主大森皓太が交わした往復書簡12通を書籍化。
現在の本と本屋と本作りついて親密でありながら緊張感をもって現場から深く議論しております。
四六判変型並製 144ページ
[目次]
はじめに
第1便 「街の本屋になりたいですか」
第2便 何から「独立」しているのか
第3便 いま求められている本とは
第4便 「教養」の変化
第5便 心が晴れる場所
第6便 「良い本」と「売れる本」
第7便 読むや読まざるや
第8便 言葉の苦しみ、言葉の恵み
第9便 文学フリマで何冊売っても満たされない心
第10便 まだ言葉が見つからなくても
第11便 人生をかける
第12便 希望をひらく
あとがき
[はじめに(杉江由次)]
「四六判ってダサいですよね」
東京の三鷹にオープンしたばかりの本屋さんでカウンターに佇む青年が言い放ちました。あわててその顔を見つめると爽やかな微笑みを浮かべつつも眼鏡の奥で目がきらりと光っておりました。
その瞬間、私はこの人は信頼ができると思ったのです。
四六判とは本の中で最もポピュラーな判型(かたち)で、それまで誰ひとりとしてその黄金比に疑いをもつ人はいなかった、少なくとも私の前で疑いを口にする人はおりませんでした。
しかし私はその頃、というのはその三鷹の本屋・UNITÉがオープンした2022年の秋です、四六判になんとなく違和感を覚えており、主に独立系書店で見かける左右を少し小さくしたり、天地を短くした本に手が伸びる機会が増えておりました。
その違和感の正体に関してはこの往復書簡の中で具体的に語られているのですが、こういうことをはっきり口にできる人、それ以前にそう感じている人に私は全幅の信頼を寄せたのでした。
だからと言っていきなり親交を深めたり、脚繁くUNITÉに通ったわけではありませんでした。微笑みを浮かべた若い店主が神保町を訪れたときに私が勤める本の雑誌社を訪れ、会話を交わす程度の付き合いが続きました。
そんな淡い関係に変化が訪れたのは、2024年の秋のことでした。その前年から私は出版業界の親友である大阪の出版社140Bの青木雅幸さんに誘われ、京都府立京都学・歴彩館で行われる下鴨中通ブックフェアというイベントに出店しておりました。
2度目の出店のため京都を訪れた際、私はその年の5月に京都の八条口にオープンしていた鴨葱書店を訪れたのでした。
そのカウンターに佇んでいたのは、三鷹のUNITÉで、「四六判ってダサいですよね」と言った青年です。青年の名前は大森皓太さんといいます。
大森さんは京都に来た私に驚きつつ、新しくオープンさせた鴨葱書店のことを案内してくれました。そしてその翌日、下鴨中通ブックフェアの会場にも顔を出され、その晩、140Bの青木さん、同じく下鴨中通ブックフェアの会場にやってきていた一冊!取引所の渡辺佑一さんとともに酒を酌み交わすことになりました。
その晩のことがまた忘れられません。散々ぱら出版業界の話をし、取次への対応か書店への本の送り方を夢中で話している私に向かって大森さんが、「奴隷根性が染み付いてますよ」と指摘したのでした。その瞬間、私は藤子不二雄Ⓐの『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造に「ドーン!!」と撃ち抜かれたような衝撃を受けました。
その後知ることになるのですが、私と大森さんは24歳、干支でちょうど二回り年齢が離れているのでした。もちろん私が年上です。もしかすると普通の年上ならば大森さんの発言を受けて怒り出すかもしれませんが、私は思わず笑い出してしまいました。あまりに痛快で腹を抱えて笑い、その笑いはしばらくおさまりませんでした。
なぜそんなに笑ったのか? それは私自身も奴隷根性が染み付いていると薄々感じていたからです。そんな私を見抜き、面と向かって指摘できる青年を信頼しないなんてあり得ません。その晩飲んだお店から名前をとり、「赤まるの会」というLINEグループが発足され、四人で情報交換をするようになりました。
それからちょうど一年が過ぎた2025年10月13日の夜、今度は京都の学生御用達の居酒屋「串八」におりました。目の前にはまた140Bの青木さんがいて、その隣に一冊!取引所の渡辺さんがおり、そして私の右隣に鴨葱書店の大森さんが座っていました。3回目の下鴨中通ブックフェアの出店を終え、打ち上げをしていたのです。
なぜかコロッケの味のする名物「たこ八ボール」を食べていると、なんの話からか隣に座る大森さんから、「僕と往復書簡をしませんか?」と誘われました。
他の人ならば「何?」と聞き返したでしょうが、「四六判ってダサいですよね」と指摘した大森さんであり、「奴隷根性が染み付いてますよ」と私の本心を見抜いた大森さんです。二つ返事で「やりましょう」と承諾し、翌日、東京に帰る新幹線の中で書き出したのが、この往復書簡の第1便となります。
私は本の雑誌社という社員5人の小さな出版社で営業をしたり、編集をしたりしています。スタッフみんな本が好きで、和気藹々とした良い会社だと思いますが、私以外は基本内勤で、外の空気を知りません。だから私ひとり他の会社の本や様々な取り組みを見て、興奮したり思い悩んだりしていました。また同業他社や取引先の中に「四六判ってダサいですよね」と指摘できる人は大森さん以外いませんでした。
そんな大森さんに私は訊ねたいことがたくさんありました。既存の書店と独立系書店の違いについて。取引条件について。そしてなぜエッセイや日記が今人気があるのか。シンプルな装丁や帯が求められる理由などなど。
もしかすると大森さんは単なる生活雑記としての往復書簡を想定していたのかもしれませんが、この書簡のほとんどすべてが、私が日々仕事をしながら感じている本や本屋さんや出版に対しての疑問や悩みであり、大森さんによる理知的な回答となります。
書簡を交わした10月14日から12月16日までの約2ヶ月、私はあの晩撃ち抜かれたように痛快で、そしてとても楽しく、たくさん勉強になりました。そしてなにより手紙を待つという幸せな時間を堪能いたしました。幸福というのはこういう時間を指し示すのだと思いました。
今回幸福のお裾分けとして本を作ってみました。もし私と大森さんの個人的なやりとりが、誰かの、何かの、きっかけとなるならそれは望外の喜びです。